チベログ。

チベット旅のあれこれ。時々ラオログ。

ちょっとお休み。ラオスへ移住。

チベット旅行記もそこそこに、

明日からラオスへ移住することになりました。

 

でも心はチベットに奪われたまま。

ラオスでうまくやっていけるか心配ですが、

同じ内陸国、仏教国、なんとか共通点を見つけてはこじつけ

10ヶ月限定の移住を乗り切ります。

 

ラオログもつけていく予定ですのでお楽しみに!(誰が?)

【寄り道】クレイジージャーニーの「カンバーチベット族」について。

クレイジージャーニー、大好きなテレビ番組です。

テレビ無し生活をかれこれ10年近く続けている私ですが、

クレイジージャーニーとイッテQは毎週実家のテレビで録画し

視聴しています。

 

8月5日放送のクレイジージャーニー(九州タイム)では

写真家のヨシダナギさんが中国の少数民族を紹介するとかで

予告の映像を見てすぐに「チベット人だ!」と確信した私は

この回を非常に楽しみにしていました。

 

実際に見てみての感想・・・

 

実際に取材をされていた場所は中国の「四川省チベット自治区」。

 

・・・

 

四川省チベット自治区はありませんけど・・・

 

画面の端っこに写った小さい地図を見る限り、

四川省カンゼ・チベット族自治州のことだと思われる。

カンゼ・チベット族自治州 - Wikipedia

 

しかし、画面の端っこにはずっと「中国・チベット自治区」と表示されている。

まるでヨシダナギチベット自治区チベット人の取材をしたかのよう。

 

そして、そこで「カンバーチベット族」なる民族を探し、写真を撮ると。

ビーズなどをふんだんにあしらった民族衣装は美しいが

失われかけているとかなんとか。

 

カンバーチベット族

私はニワカチベット好きだが初めて聞いたぞ?

 

番組で冒頭に出ていた地図の通りなら、おそらくカム地方にいる

カムパのことだと思われる。

カム (チベット) - Wikipedia

 

ヨシダ氏は冒頭で

「最近中国では国をあげて少数民族への経済支援をしている

 彼らの生活も変わってきているので、今しか撮れない姿を記録したい」

と語っている。

 

 

モヤモヤ・・・

 

 

そして、カンバーチベット族の集落に住むというチベット人のおじさんは

みんながびっくりするくらいの良い家に住んでいると紹介された。

 

おじさんは

「この家も国からの援助で建て直すことができた。

 昔はこの辺も貧しかったが、今は国の政策もよくなって豊かに暮らせるようになった」

と語る。

 

 

モヤモヤモヤ・・・

 

 

この辺から完全に「中国政府のプロパガンダやん!」って思ってきたよ。

 

その後、2人の女性をモデルに紹介された。

彼女たちは街で民族衣装を着て民族ショーを行って生計を立てているという。

 

「私たちが民族ショーをすることで、文化が継承されるでしょ?」

 

という二人。

失われかけた文化を継承するために、観光化していくのは当然でしょ。

国も私たち少数民族を支えてくれてるのよ。みたいな。

 

 

あーーーーーーもう我慢できん。

 

中国がチベット人に対して何をしてきたかご存知ですか?

チベットはもともと独立国だったんですよ。

大昔は清ともうまくやっていっていたわけですよ。

 

でもそこに中国共産党が入ってきて、彼らの文化、生活、宗教をめちゃくちゃにしたんですよ。

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(この二つの映画を見てもらうのが一番早い)

 

チベット人の精神的支えだったダライ・ラマ法王14世がインドに亡命したのに続いて、

これまでに10万人以上のチベット人が難民となっているのですよ。

 

最近では難民として国外に亡命する人は減っているとはいえゼロではないし、

中国国内のチベット自治区やその他の地区に残るチベット人

精神的な弾圧を加えられているのですよ。

 

そういうことしてたから、他国の中国に対する非難は止まないですよね。

上記の映画が作成されたり、北京オリンピックの時にデモがあったり、

スペインでは江沢民チベット人弾圧で訴えられたこともありました。

www.nikkei.com

(その後、中国政府の激しい抗議により訴追中止)

 

こういう状況を鑑みて、中国政府は少数民族支援にシフトしたんですよ。

道路を整備して環境を整備して家を整備して。

これを「良いこと」だと思うのはあなたの勝手でしょう。

 

でもね、よく考えて見るとわかる。

道路を整備するのはなんのため?人とモノの流入を促進するため。

結果、チベット人居住区の漢族流入が促進された。

環境を整備するのはなんのため?漢族の生活を良くするため。

家を整備するのはなんのため?観光に来た漢族が喜ぶため。

 

チベット人は仏と同じように自然を崇拝する。

特に大きな山や大きな湖は神聖なものとして信仰の対象としている。

そんな山にトンネルぶち抜いて道路作って、

湖を埋め立てて家を建てて、

本当にチベット人が喜んでるとでも??

 

本当はもっと細かくいろいろ掘りたいけど、

最後にヨシダ氏が特大の爆弾を投下してくれたのでそれを紹介。

 

「観光民族は決して悪いことだとは思わない。

 アフリカではなくなりかけた少数民族が観光によって復活した。

 自分たちの文化の良さに気づいて、村が潤った。

 それが本来の観光民族の在り方」

 

そうですね、それは本来の観光民族の在り方ですね。

でもね、それでいくとチベット人は観光民族ではないのですよ。

中国政府によって浄化されかけた民族であって、彼らは元々自分の文化に誇りを持って行きていましたよ。

 

別になくなりかけていたわけでもない。

未だに若い男女が数珠を持ってお寺に行ったり、

普段から民族服に身を包んでいる。チベット人は元々そういう人たち。

 

まぁヨシダ氏を擁護すると、

「・・・という風にガイドさんが言っていました」

ってなるんでしょうね。

あそこのガイドは政府によって徹底的に教育されているから。

 

チベット仏教のことについて全く触れなかったり、

チベットの民族服をチベット語の「チュパ」ではなく中国語の「蔵包」と紹介していたり、

あちこちにプロパガンダ色が見え隠れして、終始モヤモヤしながら見ていました。

 

 書いてて、相変わらず自分の文才の無さに辟易するけど、

クレイジージャーニーを見て純粋に

「カンバーチベット族の衣装ステキ❤️踊りを見に行っちゃおうかしら」

なんて思っている人がいたら、

そんなとこ行かなくていいんでインドのダラムサラに行ってください。

そして、そこでチベット難民といろいろ話してください。

そっちの方がずっと真実を知ることができるので。

 

 

 

チベログ開始。

チベット旅の記事を書く書く詐欺。

詐欺を初めて早3年が経ちました。

 

3年の間に3回チベットを旅して、

これまで本で読んだり話を聞いたりしたチベット

私の中で少しずつ形を成してきています。

 

ただ、まだまだ見えない部分が多い。

それは、チベットにはまだまだ隠された部分が多すぎるから。

 

ここでは私がチベットで実際に見てきたこと、感じたことを綴って

皆さんの中で「チベット」という形を固めてもらいたいと思います。

 

3年前のことから書き始めると、新しい記憶が腐りそうなので、

順番は前後しますが最新のチベット旅から書き始めようかと思います。

チベ旅3日目。康定編。

7月6日(土)

 

朝6時半頃にバディとホテルで別れ、

新南門バスターミナル7時発の康定発のバスに乗り込む。

 

前日にバスターミナル2階のカウンターですでにチケットを購入済み。

本当は理塘に行きたかったので「明天、理塘、一個人(明日、理塘、一人)」と言うと

カウンターのお姉さんは一言「メイヨー(没有)」。

 

中国で一番聞くのではないかというほど頻発する単語「メイヨー(没有)」。

意味は「無い」。

 

「メイヨーは無いよー」と覚えよう。

 

行きたかった理塘行きがないってんならどうしよう。。。

後ろには人が並んでるのに他の行き先を考えてなかった。。。

だったら「康定」しかない!という勢いで買っただけの康定行きチケット。

 

私の中で康定は東チベットの入り口。

そこからあちこち地方へ行くためのハブバスターミナルと捉えていた。

 

康定のバスターミナルで理塘行きのチケットを買おう。

そう思ってバスに乗り込むと、これまでと全く違うラグジュアリーバス!

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新幹線みたいなふっかふかシート

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今までの人民バスは何だったのか・・・

これまで東チベット方面へは2回ほど行ったことがあるのだが、

途中のトイレ休憩が文字通り地獄だった。

 

一番最初は2016年12月末のもっすご寒い日に、同じく成都から康定行きのバスに乗り、

3時間ほど走ったところでトイレ休憩。

 

アジアの長距離バスでよくあるレストラン併設のオンボロトイレ。

他のバスと重なって、女子トイレには結構ま行列ができていたのだが、

入ってびっくり!!そこは!!!

 

ニーハオトイレ。

 

噂には聞いていた。

中国のトイレには壁がなく、隣に人と「ニーハオ」って挨拶しながら用を足せると。

これが実物か・・・

 

実際には腰くらいの高さの壁があるので、まぁ全容が垣間見れるとまではいかないのだが、

用を足している人たちの表情は垣間見れるし音はダダ漏れだし・・・

 

幸いなのは、真冬は寒すぎて匂いがそんなにしないこと。

ボットントイレではなく、溝にまたがって用を足し足し溜めていき、

一定時間(30分〜1時間)が経過すると上流から水が流れ一掃されるというシステム。

 

だから、真夏は本当にキツイ。

2回目のニーハオは真夏だったため、本当に途中で窒息死するかと思った。

 

チベットのトイレはそんなもん」という印象があったのだが、

今回3回目の康定行きトイレ休憩を経て大変驚いた。

 

日本のサービスエリア的なものができていて、50くらいの個室トイレができていた。

 

その入り口にはデカデカと「厠所革命」と掲げられている。

(「厠所」=トイレ)

中国が現在いたるところに掲げているプロパガンダで一番見る文字「文明」。

その実現の第一歩がトイレだとやっと気づいたのだろう。

 

そんなこんなで康定に到着。

宿は「康定コンカ国際ユースホステル」のドミ。

 

初めて来た時は、バスターミナルを出たらすぐに客引きのおばさんたちがいて

その人たちにのこのこついて行った宿に泊まっていたのだが、

最近はそんな宿の客引きが見当たらなくなってきた。

 

初めてで不安でたまらなかった時に、優しくあったかいペットボトルを

ホッカイロ代わりにくれたおばさんはどこへ行ってしまったのだろう。

これも中国政府の「文明」への一歩なのだろうか。

 

とは言ってもコンカユースはとっても居心地がいい。

今回は受付が全く英語を話せないおばちゃんとお兄さんだったのだが、

お客っぽい英語が話せるお兄さんを連れてきて通訳をしてくれた。

 

日本人は通常、15日以内なら観光ビザは必要ない。

しかし、やはり現地の人はそんな情報知らないらしく

「ビザをコピーしなきゃいけないから見せろ」と言ってくる。

英語が話せるお兄さんに説明しても「そんなはずはない」と信用してくれない。

 

なぜかカンボジアビザをまじまじ眺めて「これか?」と聞いてくるけど違うから。

 

悪戦苦闘してチェックインして、康定の町歩き。

何気に東チベット3回目で、その度に康定に往復で来ているので何気に5回目の康定。

今まで特別見所がない街だと思っていたが、康定の街もなんだか結構様変わりしていた。

 

一応、四川省の甘孜チベット自治州の州都である康定。

中国政府としても、ここを東チベットの中心として発展をアピールしたいのだろう。

大きなホテルが乱立し、観光客が増えた。

チベット族と漢族が手を携えるようなモニュメントがいっぱいできている。

 

この街はどうなってしまうのだろう。

チベ旅1〜3日目。成都編。

7月4日(木)

 

中国東方航空9時45分発上海行きに搭乗。

すでに私の座席の周りには人民たちで満席。

つまり上の棚パンパン。

 

東方のACは相変わらず中国至上主義。

機内食の希望を英語で言っても中国語で返すし、

ドリンクを英語で聞いても中国語で(以下略)、

入国カードを英語で頼んでも(以下略)。

 

でも個人レベルの人民は優しい。

福岡→上海で隣の席の鼻ほじほじおじさんも、

上海→成都で隣の人民ギャルも、

私がちょっとテーブルの上げ下げや機内食のトレーに戸惑ってると

サッと手を出してくれる。

別に笑顔もなく「当然」って感じで。

 

この「いい具合のお節介」は、最近の日本人が忘れてるような。

 

上海での入国審査では、パラオの入国スタンプのせいで

軽く足止めを食らう。

知っている人は知っているけど、パラオのスタンプはちょっと異常。

そら怪しくてイタズラっぽいから疑うわな。

 

成都空港に無事に到着して、バディと合流して、翌日はパンダ基地に行って。

 

さっさとチベット記事に入りたいので成都は省略で。笑

 

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夏だから見れた赤ちゃんパンダ。

 

チベ旅0日目。

7月3日(水)

 

早くチベットへ…と言いたいところだが、

空港近くで前泊しないと行けない。

 

近くまで奮発して新幹線で行く。

この快適さを覚えてしまったら、

もうバス乗り継ぎには戻れない。